Orphee aux Enfers 〜男のプライドと女の感覚の一幕〜



思春期の男子の最大の関心事。

それは ――

「響也先輩、しつこいですよ!」

「や〜、だって事実だろ?」

「そーだよね。ハルちゃんってばかわい・・Aii!!」

「お前は黙ってろ!新!」

今日も今日とて菩提樹寮のラウンジに賑やかな声が響く。

普段は寮生もそれほど多くなく、どちらかというと静かな学生寮だが、夏の全国大会が始まってから増えた逗留する他校の生徒のおかげで一気に賑やかだ。

なんでだか男子の比率が異常に多いが、それ故に一種学校行事の旅行的な盛り上がりがあるのかもしれない。

そんな男子達が妙に盛り上がっているラウンジへ降りてきたかなではきょとんっとする。

「これ何の騒ぎ?」

「小日向か。おはよう。」

「あ、律くん。おはよ。」

何やらヒートアップしているラウンジの空気とはまったく無関係なテンションで律に話しかけられてかなでは思わず普通に挨拶してしまう。

その途端。

「ぷっ」

小さく吹き出した声がして、かなでが振り返るといつの間にか(というか最初からいたのだろうが、目の前の騒ぎの方に気を取られていて目に映らなかった)大地が口元を押さえていた。

「あ、大地先輩。なんで笑ってるんですか?」

「いや、相変わらず、ひなちゃんと律の会話は和むなあ、と思ってさ。」

「?そうですか。」

ことんっと首をかしげるかなでの頭を大地は笑いながらポスポスと撫でる。

「ほんと、可愛い可愛い。」

「???よくわかりませんけど、ありがとうございます?」

釈然としないまま、それでも一応お礼を言うと何故か更にくしゃくしゃと撫でられた。

「わわわ、大地先輩!」

「うん?」

「あの、えっと・・・・あ、そうだ!あの、あれ何の騒ぎなんですか?」

折角整えた髪がぐしゃぐしゃになってしまうという危機感から慌てて話題転換を図ったかなでが指さしたのは、奇しくもラウンジに入ってきて最初の疑問。

何故かラウンジの真ん中でヒートアップしている男性陣だった。

男性陣と言っても主に響也、悠人、新がメインのようだが。

「ああ、あれはね、そうだな。男の意地とプライドの戦い?」

「は?」

大地の言葉にかなでがきょとんっと首をかしげた時、隣から律の声が飛んできた。

「身長だ。」

「へ?身長?」

「律、なんでばらしちゃうかな。俺はひなちゃんが悩むところ見たかったのに。」

「そうか、それはすまない。」

「ちょっ!律くん、それは謝る所じゃないから!」

あんまり感情のこもっていない(ように見える)謝罪をする幼なじみをかなでは慌てて制した。

律が言ってくれなければ危うく大地のおもちゃになってしまうところだった。

かなでは精一杯恨みがましい目で大地を見上げて抗議する。

「大地先輩、ひどいです。」

「はは。ごめんごめん。じゃあ、お詫びに事の成り行きを教えてあげるよ。」

「成り行きも何も、水嶋新と如月弟が水嶋悠人を身長の事でからかったというのは一目瞭然じゃないか。」

「あ、ニア。」

大地の言葉を遮るように上から降ってきた声にかなでが見上げれば、ちょうど菩提樹寮の数少ない女性のうちのもう一人、支倉仁亜が階段を下りてきたところだった。

「おはよ。」

「おはよう。まったく男どもが五月蠅いから目が覚めてしまったぞ。」

「ははっ。確かに響いてたもんね。」

そう言ってかなでが目をやれば、悠人の拳から身を守ろうと新が響也を盾にしている所だった。

このままだと、その新を叱るべくさらに火積も乱入しそうだ。

「まったく、あいつらは朝から元気だな。」

「うん。あ、で、えっとなんだっけ?身長?」

「ああ、あの騒ぎの原因が身長だというのなら大方成り行きはさっき言った通りなのだろう?榊大地。」

「新君と響也がハルをからかったって言うんだろ?ご明察。」

さすがは報道部、という大地の褒め言葉にニアは軽く肩をすくめて応えた。

その横でかなでは再び首をかしげる。

「からかったってなんで?」

「君は相変わらずのんびりしているな。さっきからあいつらの間で飛び交っている単語を聞けば想像はつくだろう?」

「単語?」

そう言われてかなでは意識を悠人達の方へ向けた。

「大体、僕はまだ成長期です。」

「成長期って言ったって縦に伸びるとはかぎらねえんだぜ?」

「横に伸びる程、不摂生はしてませんから。」

「・・・・・・・そうだよね。不摂生だよね・・・・・・・」

「あ!ち、違います!別に伊織さんの事を言っているわけでは!」

「あー!ハルちゃんが伊織先輩をいじめたー!」

「っ!うるさい!新!それにこいつがこんなに伸びたんです。僕だってここまでとはいかなくても、同じDNAなんですからっ。」

「まあ、でも?現時点でお前が一番チビなのは否定のしようがねえしな。」

「ぅぐっ!」

(・・・・一番チビ?)

「え!?」

思わずかなでは大きな声を上げていた。

驚きから出たその声は思いがけずラウンジに響いて、ヒートアップしていた彼らの耳にも届いたらしい。

「かなで?」

「あ!かなでちゃんだ−!」

「こ、小日向先輩・・・・。」

ただかなでの出現に気が付いただけの響也と新。

それに対して悠人の方は明らかに顔をしかめたが、幸か不幸か今の会話に驚きを隠せなかったかなでは気が付かなかった。

故に、テクテクと彼らの側に歩み寄りリスを思わせるくりっとした目で見上げて言った。

「ハルくんって一番小さいの!?」

グサ。

かなで以外のその場にいた人間は(あの律でさえも)一様に悠人の胸に言葉の刃が突き刺さる音を聞いた。

「ちょ、お前、いくらなんでもそれは・・・・」

ついさっきまで自分がからかっていたくせに、一転、響也は気遣うような瞳で悠人を見てしまう。

まあ、同じ言葉でも男性が男性に言う時と女性が男性に言うのでは破壊力が違う。

ましてそれが・・・・好きな人なら。

先刻も言った様に男女比が異常に偏っている菩提樹寮のラウンジに集ったのは当然、大半が男性。

多かれ少なかれ、心情がわかってしまうだけにものすごく切ない空気に包まれてしまった。

ちなみに、数少ない女性はというと、ニアは事の成り行きに笑いを必死に堪えていて、元凶たるかなでは相変わらず驚いた顔で悠人を見上げている。

そして。

「そっか、そう言えば七海くんよりハルくんの方が目線が近いかも?」

グサッッ。

「あ、もしかしてニアぐらい?うーん、でもニアってもうちょっと・・・・」

グサッッッ。

なんかもう、やめてあげて。

自分の身長を基準に悠人を見上げながら呟くかなでに、多分、ラウンジ中の男性がそう思ったに違いない。

もっとも実際に口を出せたのは、男性陣ではなかったが。

「なあ、小日向。」

「ん?何?ニア。」

男性陣が固まり当の悠人など石化しそうな勢いの中、笑いを堪えたニアがかなでに歩み寄りながら言った。

「随分意外そうだな?」

「え?」

「水嶋悠人が一番背が低いと聞いて、随分驚くじゃないか。」

そう言えば、と大地を始め勘の良い何人かは気が付く。

かなでの反応はそもそも、悠人が一番小さいと聞いて驚いているものだと。

そしてかなでもやっぱり素直に一つ頷いた。

「うん、すっごく驚いた。」

「それは何故?水嶋が小柄なのは普通に側にいればわかるだろう?」

ニアの言葉にかなでは悩むように眉を寄せた。

(ハルくんが小柄・・・・あ、うん。それはそうなんだけど・・・・)

悠人が小柄、それには何となく違和感はない。

それでも一番小さいと言うのには確かな違和感があって・・・・。

その正体を探るようにかなでは石化寸前の悠人の周りを回るようにくるりと歩いて、そして。

「あ」

ちょうど背中に来た所で小さく声を上げた。

「うん?どうした?」

悠人越しにニアの声が聞こえる。

人と話す時の癖でとっさにニアの方を見ようとすれば悠人の背中が目に入った。

夏服用の紺色のベスト。

すっと伸びた背筋と薄い色の髪から覗く襟足。

小柄と言えば小柄だけれど、かなでのそれとは明らかに違うかっちりした肩。

チェロを抱える腕。

(そっか。そうだ。)

悠人の背中を最初に見たのはいつだっただろう?

まだ知り合ってからそれほど長い時間は経っていないけれど、すでに記憶に残るほどに見た背中。

それは ―― いつでもかなでを護ろうとしてくれた背中。

「それで、小日向?結論はでたか?」

いかにも面白がっているニアの声に、かなでは嬉しい事を報告する子どものように弾んだ声で答えたのだった。















「ハルくんの背中は一番安心できて一番頼りになるから、全然小さくなんかないよ!」















―― その一番安心できて一番頼りになる背中が赤面を隠すために崩れ落ちるのは、僅か数秒後の事である。















                                              〜 Fin 〜
















― あとがき ―
実際の身長より大きく見えたり、小さく見えたりする人っていますよね?
なんかハルくんはいつもかなでちゃんを背中にかばってる印象があるので、かなでちゃんにとっては一番大きく見える人なんじゃないかな、と。
ある意味、冥加とかもバカでかく見えそうですが(笑)

タイトルはこう書くとカッコイイですが、喜歌劇『天国と地獄』です(笑)